桜 2

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マッチ売りの少女

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紅葉の頃 思うこと

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願わくば 花の下にて 春死なん

願わくば花の下にて春死なん

さる3月30日、「しののめ」の創業者であります木村ヨシが95歳で永眠いたしました。

 

願わくば 花の下にて 春死なん

その望月の 如月の頃            

 

西行

 

春爛漫、満開の桜の下での野辺送りとなりました。華やかなことが大好きだった義母らしい最期でした。

 

36年前に「しののめ」を創業、昨年の私たちの独立に当たっては大変尽力してくれました。仕入れ業者さんへの挨拶まわりの際に車椅子で同行してくれたのは、なにより心強いことでした。先々で温かく迎えていただき、懐かしい思い出話に花が咲きました。倍旧のご支援をいただけたのは、義母の尽力によるところが大きいと感謝しています。

 

親族経営から独立するということは、義母の大きな傘の下から離れるということ、雨風を自分で受けるということです。厳しくはありますが、覚悟を決めるしかありません。「しののめ寺町」開店を機に、私は義母と一つの別れを経験したように思います。

 

そのせいでしょうか、冷たい嫁と思われるかもしれませんが、私に涙はありませんでした。ただ安らかに、そしてこれからもお守りくださいと祈るばかり。そんな私に、今にも動き出しそうな遺影は、「頼んだぇ」と語りかけているようでした。「しののめ寺町」をしっかりやっていくこと、それがなによりの供養だと思っています。

 

親族の死に立ち会うことが続くこのごろなのですが、泣いても笑っても、最期は灰になり土に返っていくのだと、皆一様に、まさに身をもって教えてくれます。どんな人生であれ、見事だなぁと、不謹慎ながら感心してしまいます。

 

波乱万丈の義母の人生、幸せだったのか、どうだったのか。嫁の私には知るよしもありませんが、そんなことも、もうどうでもよくなっているのかもしれません。旅好きだった義母です。軽やかに天上へ旅立ったことと思います。

 

 

 

 

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私が苦手だったもの 春

私が苦手だったもの 春

私、春が苦手です。

 

冬の終わりかけ、春の近づく気配のし始める頃、私は妙に落ち着かなくなります。ちょうど今頃ですね。大多数の人は春が待ち遠しいらしく、こう言うと、大抵不思議がられます。

 

春といえば、植物は芽吹き、開花し、土中の虫たちは蠢きだす、生命力に溢れた季節です。人間も進級、進学、なにかと新しいことの始まる節目の季節です。それは喜ばしいことなのでしょう、世の中が希望に満ち、誰もが心浮きたっているように思えます。

 

ひるがえって、私はというと…。

春が来たからといって、なにが変わるわけでなし、

ましてや希望に満ちたことなどあろうはずもなく、

私一人が世の中から取り残されていくような焦燥感に駆られます。

いつからか春が苦手になりました。

 

そんな思いの時、寒の戻りや名残の雪は大歓迎で、いっそのこと、ずっとこのまま冬であってほしい、なんて思うくらいです。かなりの天邪鬼かもしれません(笑)。しつこい寒さの続く今年の冬など、うれしい限り、のはずなのですが…。

 

厳しい寒さの日、お客様が店に入ってこられると、冷気まで店内に付いてくるようです。お客様の息遣いや紅潮した頬に外の寒さが察せられ、申し訳ない思いになることも。いい陽気のなか、気持ちよさそうな表情で店に立ち寄ってくださる、そんな季節が早く来ないかと思ってしまいます。 これって、春を心待ちにしているんじゃないか、そんな自分に気づき、驚いているところです。

 

毎年、春に感じていた焦燥感ってなんだったんでしょう。私はいったい何に取り残される気がしていたのでしょう。

 

もしかして、あるであろう理想のペースのようなものを一人で勝手に描いていたのかもしれません。理想の人生、こうありたいと思う自分…。取り残されると感じていたのは、世の中にではなく、そうはならない自分自身に、だったのかも。

 

同じように見えて、人それぞれの春があるはずです。 理想の人生を手に入れられたわけでも、ありたい自分になれたわけでもありません。ただ、今年は今年の、私は私の春を味わえればそれでいい、そう思えるようになりました。

 

店を始めて、苦手だったはずのことが苦手でなくなっていた。むしろ好きかも、なんてことがいくつかあります。なにがそうさせたのか、よくはわかりませんが、うれしいことです。

 

そんなことを、これからも書き留めていきたいと思います。 

 

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クリスマスだから考える

クリスマスだから考える

どうして どうして どうして

苦しんでいる人のこと

悲しんでいる人のこと

 

うちの子供たちは、幼い頃、近くの教会の付属幼稚園に通っていました。これはクリスマスに園児たちが歌っていた歌です。保護者も参加しての礼拝で、初めて聞いたときの心震える感覚は今でも忘れられません。

 

ずいぶん昔のこと、記憶違いをしているかもしれませんが、私の心にはこの歌詞が刻みつけられています。有名なクリスマスソングはたくさんありますが、私が一番に浮かべるのはこの歌です。

 

クリスマスといえばイルミネーション、きらびやかな光は心浮き立つものです。けれど私は、光がきらびやかであればあるほど心落ち着かない。何故だか切なくなってしまうのです。自分がスポットライトを浴びる場所に縁がなかったせいでしょうか。根っからの貧乏性なのでしょうか。光の向こうの闇が気になります。

 

光のただ中にいると、どこまでも光が広がっているように思います。闇のただ中にいるとどこまでも闇に閉ざされているように思います。けれど光と闇は隣り合わせ。なのに、なかなか、そのことに気づけない。どちら側にいても…。

 

世の中が幸せに満ちて見えるクリスマス。せめて、この日一日くらいは、きらびやかな光が誰の上にもあまねく照らされたらどんなにいいでしょう。

 

光の中にあっても、すぐそばに闇がたたずむこと、

闇の中にあっても、すぐそばに光が差していること、

そのことに気づきながら暮らしたいと思っています。

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