先日、偶然乗ったタクシー。三つ葉のマークでお馴染みのヤサカタクシーさん。車体の色も緑の葉っぱも変わらないのですが、なんだか様子が違います。ほんの数台、四つ葉のマークがあると聞きますが、それとも違う。
私、もともと化粧に手間を掛けない方です。朝、出かける前、ぱぱっと塗って、ちょちょっと仕上げ、ものの5分ほどで終了です。
店を始めてお客様の前に出るようになり、もう少しきちんとしないといけないなぁと常々思っていました。けれど、慌ただしさに紛れ、ずっとそのまま。毎日の習慣というのはなかなか変えられないものです。
余裕が出来たというわけでもないのですが、これまでにも、たまには立ち寄っていたデパートの化粧品売り場を、ちょいちょい覗くようになりました。流行のメイクをした若いスタッフさんは、まさしく花のように美しい。近寄るといい香りです。気になっていることをあれこれ相談してみると、あれよあれよという間に鏡の前に。手馴れた技でメイクを施してくれます。
キラキラしたアイシャドウや、プルプルしたグロスなど、自分ではしたことのないものを塗ってもらい、新鮮なような落ち着かないような。それでも「お綺麗ですよ、お似合いですよ」と褒められると、まんざらでもない気に。マニュアルどおりの声掛けとわかっていても、褒められるのはやっぱり気分がいいものです。つい一つ二つ買ってみたり。
あとは自宅に帰るだけでも、道中なんだかウキウキ。そんな自分に、まだまだ可愛いところがあるやん、と一人突っ込み(笑)。人から見てわかるほどの変化でもないのに、おかしなものです。
なにがそんなに気分いいのかと考えると、化粧そのものというより、自分を大切に扱われたということなんじゃないかと思います。大事なものを扱うように優しく触れられ、丁寧に仕上げられていく。しかも褒め言葉を添えながら。わずかの時間でも、自分が愛おしい存在なんだと再認識できた気がするのです。、
これって、本来は自分が自分にしてやらなければいけないことなのかもしれません。いつも自分のことを気に掛けて、大切なものとして扱う。それって本当はとても大事なことなんじゃないかと思います。なのに、自分に対してはどこかぞんざいで、なにかしら無理を強いて、いつも後回しにしがち。これじゃあ、自分も浮かばれない…。
ほんの少し丁寧に化粧をする時間を持つことで、こうした思いもほんの少し持ちたいものだと思います。
化粧ひとつで、そんなことを思ったこのごろでした。
幼い頃の記憶というのは、おぼろげなものです。そんななか、鮮明に残っている、ある日、ある場面の記憶というものがあります。
私は京都のまん中あたりで生まれました。近所に二軒のお菓子屋さんがあり、一軒は量り売りから、ちょっとした進物用まで取り揃えたお菓子屋さん。昭和30~40年代当時、一般的だったお菓子屋さんです。おじさんとおばさんのご夫婦でやっておられました。もう一軒は昔ながらの駄菓子屋さん。こちらは小母さんが一人で店番をしておられました。
親からわずかばかりのおこずかいをもらうと、友達の動向やその日の気分で、子供ながらに二軒の店を使い分けていたように思います。そんなある日のこと…。
私は幼稚園から小学校に上がったばかり。学校から帰ってきて、さて今日はどちらのお菓子屋さんに行こうかと考えています。並んだお菓子と、その日食べたいお菓子を思い浮かべながら、駄菓子屋さんの小母さんは「学校行ってきたんか?」と声をかけてくれることを思い出します。
駄菓子屋さんにしよう! そう決めると、私は駄菓子屋さんに駆け出します。
その時の心模様を、今でも手に取るように思い出すことが出来ます。記憶というものは、年数を経るほどに組み替えられているともいいます。自分流に組み替えられた記憶というものに、また意味があるように思います。
慣れない学校、毎日きっと緊張して過ごしていたはずです。下校後、ほっとして出かけた駄菓子屋さんで小母さんに掛けられた言葉は、「頑張ってきたなぁ」とも「えらいなぁ」とも聞こえたのでしょう。そんな言葉をまた聞きたくて、私は駄菓子屋さんに出かけます。よほどうれしかったのでしょう。その時のうれしさが、記憶を今に繋いでいるのでしょう。
過去は未来
駄菓子屋さんの小母さんの言葉は、さりげないようでいて、接客の極意です。店を持った今の私に、時空を超えて大切なことを伝えてくれます。
幼い日の私は、今の私よりずっと純度が高くて、感度が鋭かったように思います。あの頃うれしいと感じたこと、嫌だと感じたこと、それらの記憶は闇夜に瞬くキラ星のように、私の進む道を照らしてくれます。
旅行好きな私ですが、旅行はおろか日帰りの行楽さえ、もう一年以上出かけていないのではないでしょうか。休日というのは、ふだん出来ない用事をこなす日、みたいなことになってしまっています。
さすがに体も頭も心もいっぱいいっぱいになってきました。ここらで一度、無理からでも休んだ方がいいのではと判断。月に一度の連休を利用して、久々のひとり旅を企みました。行き先は、かねてより念願だった滋賀県湖北の菅浦、白洲正子の「かくれ里」シリーズで有名になった所です。私、こういうひなびた場所が大好きなんです。宿は選択肢なく、国民宿舎「つづらお荘」に決まりです。
JR湖西線の新快速で70分、「永原」からバスで15分ほど走ると、琵琶湖は琵琶湖でも、見慣れた琵琶湖とはちょっと違う眺め、正真正銘のかくれ里が現れます。
起業を決めてから、そろそろ1年が経つころでしょうか。この間、大きな事から小さな事まで、とにかく決定しなければいけないことの連続でした。それは開店してしまえば終わるというものでなく、限りなく続くのだと気づきました。それが起業というものなのだと…。
短期間で環境が激変しましたが、常に自分の心に耳を傾け、自分を見失わないように心がけてきたつもりです。けれど同じ一つのことでも、感じ方は十人十色、取りようによっては真逆の場合もあります。溢れる情報、飛び交う意見、なにが良くて、なにが悪いのか…。ときに自分を見失いそうになることも。
菅浦は観光する場所があるわけでなく、民話に出てきそうな集落を歩くのも数十分で事足ります。あとは湖畔に座って、日に照りかえる琵琶湖を眺めるだけ。聞こえるのは波の音と鳥のさえずりくらいです。
ここに私がいる。
それが、よくわかりました。
自宅を出てから翌日帰り着くまでおよそ24時間。1泊2食つき9015円。なかなかにコンパクトな逃避行でした。
私、旅行が大好きです。そんななかで、もう一度行きたい、というより、もう一度立ちたいと思っている場所があります。
3年前の夏に乗鞍から穂高あたりを旅行したのですが、そのなかの一ヶ所、新穂高温泉駅からロープウェイで上った終点、西穂高口の展望台です。幸運にも天候に恵まれ、槍ヶ岳をはじめとする穂高連峰の大パノラマを目の当たりにすることができました。
誰しも、大なり小なり困難を抱えて日々を送っているものでしょうが、その捉え方は様々のように思います。なんでも他人のせいにするタイプも困りものですが、やたら自分を責めるタイプも難儀なものです。私は間違いなく後者のタイプ、どんな困難であれ全ての元凶は自分にあると思いがちです。
展望台に立って雄大な景色を眺め、まずは感動し、やがて山に抱かれるような安心感に包まれました。「母なる山」という表現がありますが、私にとって山は老練な男性でした。「いいんだよ、いいんだよ」という野太い声があたりから聞こえ、すべてが赦されていくような気がしました。澱んでいたものがろ過されていくような心地よさに、いつまでも立ち去り難く、飽かず山と空を眺めていました。
ようやく展望台を後にしてロープウェイに乗り込むと、「しっかり生きていけよ」という、やはり野太い声がうしろから聞こえた気がしました。背中を押す大きなエネルギーを感じ、とめどなく涙が流れました。地上でまた生きていく私に、山がエールを送ってくれている。山に赦され、山に力を与えられ、浄化されたような新たな思いで帰路に就いたのを覚えています。
そんなことを思い出したのは、ちょっと疲れている証拠でしょうか。もう一度、あの場所に立ってみたい。その時、私は恥ずかしくない思いで山と対峙できるだろうか。今度は山はなんと声を掛けてくれるだろうか。なんて考えます。
けれど穂高まではちょっと遠い。せめて展望台の売店で買った山のDVDでも見て、英気を養うことにしましょう。
きのうの開店日にはたくさんのお客様にご来店いただき、ありがとうございました。
行き届かない点も多々あったことと思いますが、また足を運んでくださることを祈っています。
今日は久々に明るいうちに、私ひとり店を出ました。久々に自宅で家族揃って食事らしい食事が出来そうと、帰路、買い物をして外に出ると…。
西のお空に赤いまんまるいものが。
疲れのピークはとっくに過ぎて、クライマーズハイのような毎日。
そんな私に、
「まる!」
って言ってもらったような気がしました。
お天道様は、ちゃんと見てくれている?
とある方から、滋賀県坂本の律院という寺院に立派な阿じゃり様がいらして、毎日、全国から集まる護摩木の法要を行われていると聞きました。 誰でも飛び込み参加でき、あとにはお食事の接待もあるとか。なにしろ心が清々しくなるのよ、とのこと。
以来、しんどいなぁという時、一人でふらりと訪ねるようになりました。こんな気まぐれ信者ですが、阿じゃり様は誰でも分け隔てなく、気さくに応対して下さいます。
開店準備に心身ともに疲れもピークに。今日はついにギブアップ、フリータイムをもらい、律院へ行ってきました。
あいにく阿じゃり様は不在、護摩法要は4時からとのこと。仕方なく家族4人分の護摩木を託して帰ろうとしていると、若いお坊様が「今からお勤めをしますので、ご一緒にいかがですか?」と…。律院の古くからの信者さんと二人でご一緒させていただきました。
「精一杯やっても、どうにもならないことは、『お任せする』と、気が楽になりますよ」と、読経のあと、話してくださいました。
開店準備、精一杯やっているつもりですが、これで大丈夫とはとてもいえません。私は今まで携わっていなかったもので、本当ににわか勉強、プレッシャーに押しつぶされそうな気分になることも…。
今日のお坊様のお言葉、胸に沁みました。
行き届かないところがあることと思いますが、どうかお許しをいただくとして、なんとか元気で開店日を迎えたいと思います。
昨年末、某大学病院の「遺伝子と胃癌」に関するモニターに選ばれました。
それによりピロリ菌を保持していること、胃癌になるリスクが高いとの結果が。
決死の覚悟で、最寄の総合病院で胃カメラ検査を受けたところ、幸い、癌は見つかりませんでした。
開店に向け、準備するものは山ほどありますが、なんといっても欠かせないのが健康な体です。除けられるリスクは除けておこうと、ピロリ菌除去の薬を一週間服用しました。
今日、再度検査し、めでたくピロリ菌が除去されていることが確認されました。
ホッとして、診察室の窓から空を見て、なんだか懐かしい感覚が…。
20代で二人の子供を生んだのも、30代で無茶をして入院したのも、この病院でした。
今度はなにでお世話になるやら。
病院とはうまくお付き合いしていきたいものです。
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