今日で10月も終わり、開店から7ヶ月半が過ぎました。 この間、何度となく心に浮かんだのは、 「一年前の今頃は、こんなこと想像もしてへんかったなぁ」 という思いです。 そんな、にわか仕掛けの起業でした。今年の雪景色も桜も夏空も、私の目には去年とは違うもののように映りました。
一年前の今頃というと、そろそろ生活が一変するかもしれないという気配が漂い始めた頃でしょうか。サイコロの目がどう出るか不安におののきながらも、一方で覚悟を決めていかなければならない厳しい時期でした。
結果、起業という「目」が出て、運命が大きくうねり始めました。本当に一寸先のことはわからないものです。いいことも、悪いことも、そのときどきに真摯な姿勢で向き合わねばならないのだと学びました。 この一年は十年分くらい生きた気がしています。
先日のこと、妙齢のご婦人が5人ほど店に入ってこられました。味見をされ、お茶を召し上がり、商品を吟味したあと、「今日は一年後の同窓会の下見、一年後にまた来ますね」と。幹事さんが京土産を用意するのが恒例なんでしょう。「鬼が笑うかな」とにこやかに帰っていかれました。
私、毎日、今日、明日のことで精一杯。一年前の今頃を思うことはあっても、一年後の今頃を思うことなどありませんでした。一年後、「しののめ寺町」がここにあり、じゃこ山椒が陳列棚に並び、店に私が立っている…。それは当たり前のようで当たり前でないことのように思えます。一寸先のことは誰にもわからないのですから。
けれど、わからないならわからないで、そんな一年後をあっけらかんと思い描くのも悪くない気がします。「一年後、お待ちしております」と私もにこやかにお見送りしました。数ある京土産のなかから「しののめ寺町」のじゃこ山椒を選び、またご来店くださるよう、一日一日積み重ねていこうと思います。
私、旅行が大好きです。そんななかで、もう一度行きたい、というより、もう一度立ちたいと思っている場所があります。
3年前の夏に乗鞍から穂高あたりを旅行したのですが、そのなかの一ヶ所、新穂高温泉駅からロープウェイで上った終点、西穂高口の展望台です。幸運にも天候に恵まれ、槍ヶ岳をはじめとする穂高連峰の大パノラマを目の当たりにすることができました。
誰しも、大なり小なり困難を抱えて日々を送っているものでしょうが、その捉え方は様々のように思います。なんでも他人のせいにするタイプも困りものですが、やたら自分を責めるタイプも難儀なものです。私は間違いなく後者のタイプ、どんな困難であれ全ての元凶は自分にあると思いがちです。
展望台に立って雄大な景色を眺め、まずは感動し、やがて山に抱かれるような安心感に包まれました。「母なる山」という表現がありますが、私にとって山は老練な男性でした。「いいんだよ、いいんだよ」という野太い声があたりから聞こえ、すべてが赦されていくような気がしました。澱んでいたものがろ過されていくような心地よさに、いつまでも立ち去り難く、飽かず山と空を眺めていました。
ようやく展望台を後にしてロープウェイに乗り込むと、「しっかり生きていけよ」という、やはり野太い声がうしろから聞こえた気がしました。背中を押す大きなエネルギーを感じ、とめどなく涙が流れました。地上でまた生きていく私に、山がエールを送ってくれている。山に赦され、山に力を与えられ、浄化されたような新たな思いで帰路に就いたのを覚えています。
そんなことを思い出したのは、ちょっと疲れている証拠でしょうか。もう一度、あの場所に立ってみたい。その時、私は恥ずかしくない思いで山と対峙できるだろうか。今度は山はなんと声を掛けてくれるだろうか。なんて考えます。
けれど穂高まではちょっと遠い。せめて展望台の売店で買った山のDVDでも見て、英気を養うことにしましょう。
10月になり、めっきり秋らしくなりました。
毎朝、地下鉄丸太町駅で降り、店を目指して竹屋町通りを東に歩きます。夏の辛さはもうありません。
開店前から数えると、冬、春、夏、秋と季節が巡りました。つくづく不思議に思います。この道をこんなに通ることになるなんて、夢にも思わなかったと…。
このあたりは静かな住宅街で、なんということもないけれど、人の営みが感じられるいい通りです。なによりの魅力は、西国19番札所「革堂さん」の正門に行き当たることでしょう。毎朝、観音様の懐に導かれていくような、すがしい思いで通っています。
俳優さんが亡くなったときなど、霊柩車が馴染みの劇場の前を通って火葬場に向かう、なんてニュースを耳にすることがあります。願わくば、私も人生最後のドライブ、この道を通ってもらえたらと思っています。自宅近くの葬儀所で葬儀を行い、火葬場に向かうのに、さして遠回りでもなさそう。しかも幸いにも東行きの一方通行です。
革堂さんの前でゆっくり右折し、反対車線にはなりますが「しののめ寺町」の前で数秒停車し、プハァーと小さくクラクションを鳴らしてもらえたら…。私の人生めでたし、めでたし、です。
もし「しののめ寺町」が存続していなかったら…。そのときは、かつてあった場所でもいいんです。ちょっと淋しいですが、それもまた仕方ない。
こんなことを書くと、驚かれる方があるかもしれません。確かに私はいつも死を意識して暮らしているところがあります。けれどそれは決して悲観的なものでないんです。楽しい旅行の計画があると、それまで頑張れる、いつも以上に頑張れる、そんな感覚でしょうか。むしろ励みになるんです。やっぱり変わっているでしょうか。(笑)
棺桶にゆかりの品を入れる、なんてこともあるようですが、私は決して何も入れてくれるなと家族に伝えています。毎日、重い荷物を引きずって通っているこの道、死んでまで荷物はまっぴら。手ぶらが一番です。
などかは降ろさん 負える重荷を (賛美歌312番)
楽チンに横になり、熟練のドライバーの運転で、いつの日かこの道を通れると思ったら、死ぬのもまんざら悪くない。
どこまで生きても心残りは尽きないでしょうが、少しでも心残りなく死ねるよう頑張って生きていこう。そんなことを思いながら、今日も竹屋町通りを歩いています。
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