イリーナ・メジューエワさんのこと 2

イリーナ・メジューエワさんのこと 2

少し以前のことになりますが、先月の31日、京都コンサートホールでの「イリーナ・メジューエワ ピアノリサイタル」に出かけてきました。

 

イリーナさんは「しののめ寺町」開店当初からの大切なお客様。華奢でとてもお可愛らしい女性です。しばらくして新聞の記事で有名なピアニストと知り、昨年の秋、初めてリサイタルに出かけました。ふだんの控え目な物腰とは打って変わった力強く情熱的な演奏に、とても驚きました。(ブログイリーナ・メジューエワさんのこと

 

一年ぶりのリサイタル、予想通りの衣装、予想通りの演奏。二度目の今回は落ち着いて聴けるのかな、そう思ったところに予想外の感覚が…。音色が深く深く心に入っていくのです。浸透していく深さ、速さが前回とは全く違って感じられました。心の深いところが揺さぶられるような。そんな自分に驚きながら演奏に聴き入っていました。

 

もともと音楽の素養があるわけではなく、前回、大好きなイリーナさんのリサイタルということで興味を惹かれ出かけて行ったのでした。クラッシックに馴染みはなかったのですが、そんな私の心にイリーナさんの演奏は初めて触れた気がしました。初めて味わう感動に、私が気づいていない楽しみ、喜び、そうしたものが、まだまだあるのかもしれない。イリーナさんの演奏は、そんなことを予感させる序曲に思えたのを記憶しています。

 

感じたことが視覚的に浮かぶ癖のある私、今回、演奏を聴きながら、柔らかな土のイメージが浮かびました。乾燥して固かった大地が耕され、中から出てきた黒々とした土。陽を浴びてほのかに温かく、やわやわと柔らかな土。そこに降り注ぐ雨。柔らかな土が雨水をぐんぐん吸い込んでいく…。それは私の心そのもののような。

 

初めて出かけたリサイタルから一年、この間に出会った方たちが、まだまだ固く萎縮していた私の心を、ひと堀り、ひと堀り、耕してくださったのだなぁと思いました。そこに重ねてきた新たな経験、新たな思い。そうしたもので、少しずつ豊かな土になっていったのだなぁ、と。

 

英語で、文化は culture 農業は agriculture

 

久しく忘れていた英単語が、唐突に浮かびました。中学生の頃、文化と農業いうかけ離れた言葉に、なぜ同じ文字が入っているのかと不思議に思ったものです。cultureの語源はラテン語で「耕す」だとか。なんとなく納得がいったような気がしていましたが、この日、こういうことだったのかと心から腑に落ちました。


終了後、ホールから出ると、夕刻に降っていた雨は上がっていました。雨に濡れた北山通りの街路樹、道路に照り返る車のライト、店の照明…。きれいだなぁ、きれいだなぁと思いながら、高揚した気分で自宅まで歩いて帰りました。

 

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重森三玲氏のお庭

重森三玲氏のお庭

先日の定休日、松尾大社に出かけてきました。作庭家、重森三玲氏のお庭が素晴らしく、私が京都で一番好きかもしれない場所です。

 

もともと一人でふらりと出かけるのが好きなのですが、店を始めてからはぱったり。時間ができたら、まず出かけたいと思っていたのが松尾大社でした。時間ができたわけではないのですが、これから忙しくなる季節、その前にと、思い切って出かけたのでした。開店以来やっとの「ふらり」です。 

 

松尾大社を初めて訪れたのは数年前、三玲氏のお庭を前にした時の衝撃は今も忘れることができません。空に向かって巨石がそそり立つ様はエネルギーがほとばしっているよう。無造作に突き立てられているようでいて、計算されたように美しい造形。よくある寺院の庭園に佇むときの心休まる感覚とは全く違い、なにか突き動かされるような感動に、飽かず眺めていたことを覚えています。

 

「しののめ寺町」開店間もない頃、偶然にお立ち寄りくださった旅行中の熟年のご夫婦がいらっしゃいました。お話しするうちに奥様が重森三玲氏のお孫さん、重森千青氏の講座を受けられるほどの三玲氏ファンとわかり、大盛り上がりしたことがあります。お隣のご主人様を置き去りにして(笑)。

 

「三玲氏のお庭は、自分が元気な時じゃないと向き合えないのよね。エネルギーに負けそうで」とお客様。「自分がブレていないか試したい時に、向き合ってみるといいでしょうね」なんて、偉そうに私。今も忘れ難いお客様のひとりです。

 

開店して2年と7カ月。どこまでいっても経験のないことが目の前に現れます。大小さまざま、常に判断し、決断し続けなければいけない毎日。それは商売に限ったことではなく、人生もまた然りかもしれません。

 

そのときどきの判断は正しかったか、決断は間違っていなかったか。ふと不安に駆られ、後悔がよぎることがあります。けれど、そもそも、正しいか間違っているか、誰が決めるのでしょう。どこかに審判がいて、○×の札でも上げてくれるのでしょうか。


実は、三玲氏のお庭にちゃんと向き合えるか、ここらで一度、自分を試してみたい。そう思って出かけたのでした。ブレていたら、心が動揺するかも。うしろめたいことがあったら、目を背けてしまうかも。勝負です!

 

しっかり向き合えました。


自分が決めて進んできたことには、正しいも間違っているもなく、それが全て。

 

そんなことを思いながらお庭を眺めていると、ひとりの青年と一緒になりました。気さくに挨拶してくれたのがきっかけで会話が始まるや、庭師を目指しているという彼、熱く語る語る。八百万(やおよろず)の神様のこと、宇宙のこと、前衛アート、人生論…。どれも私の興味ある話題です。しかも、ふだんは怪しいひとと思われそうで、おいそれとは口にしないよう用心していることばかり(笑)。


紅葉前の静かな時期、ほかに誰もいません。三玲氏のお庭を前にして、庭師を目指すとはこういうことかと納得しながら、彼の話を思いっきり聞いて、思いっきり相づちを打ったひととき。心をいっぱい遊ばせられた、心地いい時間でした。

 

話は尽きませんでしたが、秋のこと、夕方になると急に冷え始め、「きっとまたどこかで再会できますね」と言い合って別れました。不思議な巡り合わせ、これも場の持つ力、三玲氏のお庭のエネルギーがが引き寄せてくれた出会いだったかもしれません。

 

家に帰れば、その日済ますはずだった用事は山積みのまま。けれど、それを補って余りある山盛りのおみやげを持ち帰った秋の一日でした。

 

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