紅葉の頃 思うこと

紅葉の頃 思うこと

京都の紅葉は、今が見頃のようです。「しののめ寺町」でも紅葉の名所からお帰りのお客様が、口々にその美しさを話してくださいます。嵐山、詩仙堂、実相院…、それぞれの光景を思い浮かべ、パッチワークのようにはぎ合わせて、紅葉スポットを巡った気分を味わわせていただいています。

 

最近では昼間のみならず、夜、ライトアップされた紅葉を愛でることができるようで、たいそうな人出とか。春、ぼんぼりの下での夜桜見物はいにしえからの風物詩ですが、夜紅葉見物はいつから定着したのでしょうか。観光都市、京都ならではの風習なのでしょうか…。

 

夜は暗いもの、日が暮れれば木々は闇の中で眠るもの、そう思う私はどうも馴染めずにいます。夜まで煌々と照明に照らされ、人の視線と嬌声に晒される木々が気の毒に思えてなりません。美貌と才能に恵まれたばかりに、どんなに疲れていても舞台に立つことを運命付けられた女優さんのよう。美しいけれど、痛々しくて見るのが辛い。そんなわけで、紅葉のライトアップは未だに出かけたことがない私…、やっぱりちょっと変わっているのかもしれません。(笑)

 

京都市民がこんなことを書くなんて、とお叱りを受けそうですが、あくまでも個人の感想ですので、なにとぞ寛大な対応をお願いします。m(__)m

 

ところで今年の紅葉は夏の猛暑の影響で、色づきがいまいちとか。あの暑さには人間だって参ったものです。髪や肌の傷みに、秋になって大慌てでメンテナンスするも、年ごとの衰えは隠せません。空に向かって立つ木々は、それこそまともにダメージを受けたことでしょう。それでも秋にはこうして自力で身を美しく装うのですから、そのうえ年ごとに風格を増すのですから、樹木はやっぱり大したものです。紅葉の色づきを云々するのは失礼に思えます。

 

どうも人間よりも樹木寄りの私、きっと前世は樹木だったんじゃないかと思っています。(笑)

 

自宅近くの京都府立植物園の北側、北山通りの街路樹の銀杏もきれいに色づいています。華やかなものが苦手な私は、燃え立つようなまっ赤な紅葉より、黄葉の方が好き。陽を浴びて黄金色(こがねいろ)に輝く銀杏は本当に美しいと思います。

 

私の前世が樹木で間違いないなら、きっともみじではなく銀杏だと思います。(笑)

 

紅葉スポットに出かけなくても、こうした街中の街路樹を眺めているだけで秋を満喫できるものです。忙しくて出かけられずにいる自分への言い訳、でもありますが。

 

それにしても…、あまりに美しいものを見ると哀しくなるのは私だけでしょうか。そんなことを思う紅葉の頃です。