今日5月11日(日)は母の日。どこのお店も華やかなディスプレイが目を惹きます。ビミョーな思いで眺めていたのも今は昔(ブログ贈り物日和)、今年は「しののめ寺町」でもささやかながら母の日にふさわしい包装あれこれと、プレゼント用にミニカーネーションをご用意しました(笑)。
その甲斐あってか、昨年より多くのお客様にご利用いただき、ありがとうございました。通りすがりにふらりと立ち寄られた若い男性、「買って帰るか」と独り言のあと、母の日仕様の【こばこ】をお買い上げ。私は心の中で大拍手! なんてことも。こうした瞬間に立ち会えるのは、本当に幸せなことです。
ディスプレイしている「お母さんありがとう」と書かれた掛け紙を眺めながら、届けられた先々で喜んでいただけたかなぁと気になっているところです。
「おかあさん」といえば思い出すお客様が。少し前のこと、養護施設で看護師として定年まで勤められたという女性が来店されました。障害を持ち、家庭では養育が難しい子供さんたちを預かられている施設です。「おかあさん替わりですね」と私が言うと、「でもやっぱり本当のおかあさんには適わないんですよ」と、こんなエピソードを話してくださいました。
その方がまだお若い頃、入所してきた子供さんに園長さんが「今日からこのひとがおかあさんよ」と紹介されると、たちまち「おかあさん、おかあさん」と言って懐いてくれたとのこと。いい気分でいたある日、実のおかあさんが面会に。するとその子供さん「ママ~」と叫んで駆け出して…。「おかあさん」というのはその方の名前だと思っていたことがわかり、皆で大笑いになったと。
切なすぎるエピソードに泣き笑いになってしまいました。
一方で、子供を切望しながら授からないことに苦しむ女性たちの存在も。とても素敵な女性でありながら、最晩年になってなおその一事を負い目に暮らしておられる方もいらっしゃいます。
母になること、子供でいることは、現実にはなかなか難しい。母の日近くなるとやたらと目につくテレビコマーシャルのようにはいきません。
私はというと、実母、義母共に今はなく(ブログこの道を通る日いつも豆腐買う、ブログ願わくば花の下にて春死なん)母の日のプレゼントに頭を悩ませることもなくなりました。子供は授かりましたが、いい娘ではなかったし、いい母親にもなれないまま今に至る…です(笑)。
親子というのは選べるものではありません。きっと神様が采配されたのでしょう。気まぐれにか、意図してかはわかりませんが、その組み合わせにはその組み合わせの意味があり、それぞれに学ぶべきことが含まれているように思えてなりません。
宿縁というように、それもひとつの縁。
ならば力を抜いて身を任せ、じっくり学んでいくのもいいかな。そんなことを思う今年の母の日です。
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