久し振りに展覧会に出かけてきました。京都現代美術館 何必館で開催中のロベール・ドアノーの写真展「没後20年 ドアノーの愛したパリ」です。
生涯、パリに生きる人々を撮影し続けたドアノー。雑踏の中を歩き廻りとらえられた数々の情景は、まるで映画のワンシーンのよう。「市役所前のキス」はあまりに有名な一枚です。
うってつけの場所に、うってつけの俳優を立たせ、計算し尽くしたポーズをとらせたかのような写真の数々。微笑ましさにクスッとしたり、漂う哀愁に切なくなったり。いろいろな想像を掻き立てられ、見入ってしまいます。それらが市井の人々の織り成す偶然の一場面というのが驚きです。
姿かたちの美醜を超えた、そのひと自身の持つ美しさ。身なりの良し悪しにかかわらない、そのひとの精神に宿る誇り。ひとりひとりの存在感、かけがえのなさに、ただただ圧倒されます。
伝書鳩が地図を読むことを覚えたとしたら、きっと方向感覚を失ってしまうだろう。自分にとって大事なことは、大きな好奇心をもってパリの雑踏の中を自由に歩くことだ。
ドアノーの言葉です。才能ある芸術家だからこその言葉だなぁと思います。が、私たちに当てはめてみてもいいのでは?
世の中の決まりごと、暗黙の了解、なんとなく根付いている常識…。そうしたものは必要ではあるけれど、一方で大切なものを見失わせてしまうこともあるような。
ひとり旅をしたり、社会人学生になったりしてきた私、変わっているとよく言われたものです。主婦で? 母親で? と。心は自由でありたいと願うほど、不自由を感じてきたように思います。もともと地図が読めないタイプなもので…(笑)。
店を始めてよかったことの一つが、好奇心いっぱいにちょっと変わったことをすると褒められること、です。おとなしく当たり前のことをしていたのではちっとも褒めてもらえません。今までとは真逆! とても自由になれた気がしています。
普通のひとが普通に生きる姿が、そのまま絵になるドアノーの写真ですが、思えば「普通のひと」なんて、本当は一人もいないのかもしれません。誰もが特別で、ドラマチックな、かけがえのない人生!
街の風景、醸し出されるにおいが、ますますそのひとの人生を彩るということはあるかもしれません。パリ生まれのドアノーにとって、舞台がパリというのは意味のあることだったのでしょう。
ドアノーの写真を見ていて、ふつふつと湧き出る思いがありました。私もほかの誰でもない私の人生を生きたい。どの場面を切り取っても絵になるような、そんな人生を生き切りたい。
パリと似た街と言われる京都、舞台設定は申し分ありません。あとはモデルの私次第、そこがちょっと…(笑)。
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