今年の春、皆様、どんなお花見を楽しまれたでしょうか? これからという地域の方もいらっしゃるかと思います。京都はおおむね4月に入ってすぐのころに、見頃のピークを迎えました。とはいえ雨が多く、お花見日和といえる日は数えるほどだったような気がします。
以前のブログ私が苦手だったもの 春で書きましたが、なにやら世の中が浮き立つ「春」という季節、いつも置いてきぼり感にさいなまれる私には、気分の落ち込む苦手な季節でした(ブログ天狗おじいさん)。店を始めてから少しは克服できたかと思っていたのですが…。
前回のブログ可能性では、目の前の可能性に果敢にチャレンジしていきたい、なんて威勢のいいことを書きました。有言実行、さっそく取りかかっていますが、どうもスピード感に欠けるような。計画しながらも、今一歩が踏み出せずにいることもたくさんあります。
可能性をものにできるだけの力が、果たして私にあるのだろうか。不安がよぎるや、たちまち足踏み状態に。とうてい果敢にとはいかない現状です。
そんな不甲斐ない私を尻目に、桜は一気に開花し、咲き切ったと思うや、惜しげもなく散っていきました。見る間に移ろう季節のうしろ姿を追いながら、その背中に指先すら触れることができない私…。
やっぱり春には追いつけない。
写真はかの有名な円山公園のしだれ桜です。春が苦手な私も、これを見ないことには春が始まらない、というくらい大好き。去年、閉店後に思い余って出かけた折にカメラに収めたものです。
近年は傷みも激しく、かつての華麗さはないという声をよく耳にします。それでも見事な立ち姿。痛々しさまでもが美しく、まるで老いてなお妖艶な女性を見るようです。えもいわれぬ気品と色香。はかなげだけれど雄々しくて、なににもおもねらない孤高の美。対峙するたびに息を飲み、立ちすくんでしまいます。そんな大好きな桜も、残念ながら今年は行きそびれてしまいました。
追いつけないまま、また春が行っちゃった。
今年もやっぱり置いてきぼり感にさいなまれ、気分が落ち込みがちなこのごろ。まだまだ春が苦手なのかなぁ。
いやいや、今年はかつての置いてきぼり感とは少し違う気がします。春のスピードに追いつけないでいるだけで、今の私はたとえゆっくりでも前に進んでいるんじゃない? 追いつけないもどかしさは、懸命に背中を追っているからこそ感じる思いなんじゃない?
ただ愛でるには、桜はあまりに美しすぎる。そう思うのは私だけでしょうか。私にとって桜は、畏れにも似た憧れです。たとえ追いつけなくても、ずっとその背中を追いかけていたい。その思いを新たにするのが、春という季節なのかもしれません。
京都の桜もすっかり終わる頃、そんなことを思う私です。
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