先月のことになりますが、素敵なピアノリサイタルに出かけてきました。会場は今は廃校になった明倫小学校(現京都芸術センター)の講堂。建物に入った途端、油引きの廊下の匂いがして、たちまちノスタルジックな気分になりました。
ピアノはオーストリア・ハンガリー帝国時代にプラハで製造されたというペトロフ社の伝説のピアノ。篤志家から子供たちのために寄贈されたものの、その後、放置され傷みが激しかったとのこと。有志により修復され、かつての音色がよみがえったのを機にコンサートが開かれるようになったようです。
今回の演奏者はロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワさん。「しののめ寺町」開店当初より、日本人のご主人様と共にご贔屓いただいている素敵なお客様です。(ブログイリーナ・メジューエワさんのこと イリーナ・メジューエワさんのこと2)。
清楚で美しいイリーナさん。華奢な姿からは想像できない力強い演奏。彼女のリサイタルに出かけるのは3度目ですが、いつもながらその魅力にたちまち惹きこまれてしまいました。さらに今回は、時を超え、国を超え、出会ったピアノと演奏者と聴衆、そしてその場に私がいるということ…。不思議なストーリーにいつにない感動が加わりました。
人も物も、出会うべきものは出会うように用意されている。
演奏を聴きながら、そう思わずにいられなかった私。外は寒い寒い夜でしたが、温かな思いに包まれたひとときでした。
店を始めて以来、一日のほとんどを店で過ごしています。定休日とて遊びに出かけることもままならない状況。体は一つ、一日は24時間。正直、不自由だなぁと思うことも。
けれど毎日お客様と接し、いろいろなお話を伺うなかで、私はここに居ながらにして途方もない時間と距離を行き来しているんじゃないかと思うことがあります。
「しののめ寺町」のじゃこ山椒と塩昆布。店奥の厨房で自分たちで手作りするこれらの商品は、私たちにとって、もはやただの物ではありません。私たちの思いが込められています。こういう話、重かったら申し訳ありません(笑)。
日本各地からご来店くださるお客様が持ち帰られる土地。それぞれのご家庭の食卓、さまざまな集いの場。時には山登りのお供に連れられ、素晴らしい眺望の中に置かれることも(ブログ心の旅)。その先々に私たちの思いも一緒に出かけている気がしています。
その先は日本にとどまりません。私にはとうてい行けそうもない国々へ、海を越え、空を飛び、うちのおじゃこたちは出かけて行きます。そこはどんな気候、言語、文化の国でしょう。どんな器に入れられるのかと想像するだけで楽しくなります。
亡くなられた方が、うちのおじゃこが大好きだったからと、法事の粗供養に使っていただくことがあります。あの世で喜んでくださっているかなぁと想像しますが、そこはまだ私にはちょっと未知の世界です(笑)。
忘れられないエピソードもあります。幼子を残して亡くなられた女性。そのお友達が、成人した忘れ形見の娘さんを連れてご来店くださいました。「あなたたちのお母さんは手土産といえば、いつもこちらのおじゃこだったのよ」と涙ながらに語られたのには、私も思わずもらい泣き。その娘さんが後日、恋人の実家を初めて訪問する手土産にと、彼と一緒に来てくださったのには驚きました。何十年の時がつながった瞬間を見る思いでした。
一人の人生ではとうてい出会えない多くの方たちに、おじゃこを介して直接、間接に出会っている気がしています。ひとは不自由なようで、実はとても自由なのかもしれない。それに気づけるか気づけないか、その違いで人生の楽しみがずいぶん変わる気がします。
私は寺町のこの場所に立ちながら、自由に時空を駆け巡っていたい。
そんなことに気づくきっかけとなったリサイタル。ペトロフピアノとの出会いもやはり、出会うべくして出会うように用意されていたものだったかもしれません。
今年も残すところあと半月となりました。帰省の手土産を求めるお客様が多くご来店くださる年末。いつにも増して、私の心も西へ東へ飛び交う距離が伸びそうです(ブログふるさと)。
今年は30日(水)の定休日を返上、大晦日の午前まで営業です。たくさんの出会いを楽しみに、いつにも増して健康に留意しなければと思うこのごろです。
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