ウィンタースポーツの季節到来。昨年末よりフィギュアスケートのニュースをよく目にするようになりました。特別ファンというわけではないのですが、浅田真央選手にはなにか心魅かれるものがあり、普段テレビを見ない私も見たりして。
真央ちゃんといえば、十代の頃から、神様から選ばれしひとは、こういうものかと思うばかり。なにもかも兼ね備えたひとのように私には思えました。こぼれんばかりの笑顔には、誰もが魅了されたのではないでしょうか。
選手としてキャリアを重ねるごとに、絶えない苦悩もあった様子。演技後のインタビューでは、時にしゃくりあげながら、時に表情を曇らせながら、それでも真摯に答える姿には、いつも感心させられました。短い受け答えの一つ一つはシンプルでありながら、経験した者のみが語れる言葉の重みがあり、胸打たれることも。
休養から復帰後初めての今シーズン。なかなか調子が上がらず苦戦が続いていたようですが、昨年末の全日本選手権大会のフリーの「蝶々夫人」の演技は、本当に素晴らしかった。転倒しながらも繰り広げられる渾身の演技は、息を呑む迫力。演技後、小さく頷く表情に、今の彼女のすべてが表現し尽くされたのだと、見ている私まで胸すく思いでした。もはや評価など超越していたような。
若い選手が台頭するなか、25歳で最年長と言われるスポーツの世界。決して本調子ではないなか、あの大きなスケートリンクに一人立つ孤独。不安を抱えながら、それでも果敢に挑む姿…。無垢な頃の真央ちゃんも美しかったけれど、苦悩を湛えた真央ちゃんはさらに美しい。
美しいということは、経験すること…。
苦しい経験に心が澱んでしまうこともあるものです。が、それを超えた時、また新たな美しさが生まれる。一つ一つの経験が、その向き合い方が、そのひとが本来持っていた美しさにさらに磨きをかけていく。真央ちゃんの姿を見ていて、そんなことを思いました。
女性が年齢を重ねることは、決して悲観的なことではなく、むしろ素敵なことなんじゃないか。経験を重ね、折り重ねられていく心のひだ。そうしたものが若い頃にはなかった深い美しさを生むんじゃないか。そんなことを思ったり。そうであることを願ったり。そういうものが評価される世の中であってほしいと思います。
年齢を重ね、経験を重ね、澱みながら、澄みながら。また澱みながら、澄みながら。最期に本当の「透き通る瞬間」があるのかも(ブログ透き通る瞬間)。
多忙だった12月。ダウンしたお盆休みの二の舞はすまいと、仕事と休養に専念した年末年始でした。新年のご挨拶がすっかり遅れてしまい申し訳ありません。お陰様で元気に新しい年をスタートすることが出来ました。
今年もまた、さまざまな経験をすることになりそうな気配です。好ましい経験も、好ましくない経験も、恐れずに向き合ってみよう。真央ちゃんの演技を思い出しながら、そんなことを思うこのごろ。どうぞ今年もよろしくお願いします。
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