熊本で大きな地震が起きました。お客様の中にも熊本にお住まいの方がおられ、心配しているところです。
世界で、日本各地で繰り返される災害には、自然の恐ろしさを感じずにはおれません。なかでも地震は、人の手で作られた街に住んでいるようで、実は地球という星に住んでいるに他ならないことを痛感させられます。
日常と思っている日々の暮らしが、決して常なるものではないこと。平凡だったり、時につまらなく思える日常が、実はかけがえのないものであること。災害や事件、事故の映像を目にするたびに思い知らされます。
先だっては、知人が大きなアクシデントで急死されるという出来事がありました。テレビのニュースで知った時の驚きは、今までに経験したことのないものでした。ご家族の嘆きはいかばかりか。日常というものについて、考えることの多いこのごろです。
店を始めて、それ以前にも増して、大小様々なことが起こる生活となりました。開店時間に店を開け、閉店時間に店を閉める。当たり前に思えるそんなことが、決して当たり前でないこと。滞ることなく繰り返していかれる毎日が、どんなに有り難いことか、身に沁みてわかるようになりました。そうして積み上げられた一日一日が、先だって迎えた開店四周年です。
有り難く思いながらも、慌ただしさばかりが先行していたこれまで。最近になって、ようやく少し余裕が生まれてきたのでしょうか。こうした日常に心を向ける時間が、わずかですが持てるようになってきました。
災害も、事件も事故も、明日は我が身。そうしたことに遭遇しないまでも、生老病死はひとの常。今日の日常が明日も続く保証など、誰にもありません。もちろん不老不死など望むべくもない。
そんな貴重な今日を、過去を悔やんだり、未来を憂えて過ごしていてはもったいない。運命づけられたこと、努力ではどうにもならないこと、そんなことを恨んだり、嘆いたりしていてもしようがない。
し残してきたことを悔いるより、してきたことに誇りを持とう。自分に欠けているものを数えるのではなく、自分に備わっているものに目を向けてみよう。今、ここにある、あるがままの自分。あるがままの現実。まずはそれを認めてみよう。そう思うようになりました。とても難しいこと。簡単にはいきませんが。
近頃、今までと変わらない日常が、少し違って見えてくるようになりました。なんでもない日常にも、小さな喜びが見え隠れしています。それを見つけられるか見過ごすか。すくい取れるか、取りこぼすか。その差はほんのわずかだけれど、人生の楽しさは大きく違ってくるように思います。
日常を大切に思うことは、とりもなおさず自分を大切に思うこと。今という時を愛おしみ、今ある自分を愛おしむ。それが、今、私の思う「日常」。
熊本の地震で犠牲になられた皆様のご冥福を祈ると共に、一日も早い復旧を願いつつ、私もがんばっていこうと思っています。
なおゴールデンウィークは、5月4日(水・祝)が営業。5月5日(木・祝)が休業となります。お間違えのないよう、よろしくお願いします。
コメントをお書きください