イリーナ・メジューエワさんのこと3

イリーナ・メジューエワさんのこと3

先月のこと、ロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワさんのリサイタルに出かけてきました。イリーナさんのことは、このブログでも何度か書いていますが、「しののめ寺町」開店当初からご贔屓いただいている、素敵なお客様のお一人です(ブログイリーナ・メジューエワさんのこと)。

 

クラッシックには興味のなかった私ですが、イリーナさんのピアノは特別。そのときどきに新鮮な感覚が湧き起こり、演奏はもとより、そうした自分の反応をいつもおもしろく思っています。4度目になる今回はどんな自分に出会えるか、ワクワクしながら出かけて行きました。

 

今回のプログラムはショパン。といって、私に解説ができるわけはありませんが(汗)。これまでは華奢な姿からは想像できない力強い演奏が印象的でしたが、今回はイリーナさんらしい可憐なイメージが際立っていたような。あくまでも個人の感想ですが(笑)。

 

心で感じたことが、映像となって頭に浮かぶという変な性癖(?)のある私。前々回のリサイタルでは、固かった大地が耕され、その下から現れた柔らかい土に雨が沁み込む絵が浮かびました。その時のブログでは、英語で文化(culture)と農業(agriculture)に同じ文字が含まれることが腑に落ちた。なんてことを書きました(ブログイリーナ・メジューエワさんのこと2)。

 

今回もまた、柔らかく耕された土に、雨が深く沁みこむ絵が浮かびました。折しも雨続きの日々。雨音を聞き慣れた耳に、ピアノの音色が心地よく重なるようでした。

 

もう何年前になるでしょうか。まだ店を始める前、といってそう遠い昔ではないころ…。感情があまり動かない時期がありました。感情が動くとしんどくなってしまうのか、防御反応として感情のセンサーがスイッチを切ってしまったようでした。知人の葬儀でさめざめと泣く友人たちに交じり、涙ひとつ出なかった私のばつが悪かったこと…。

 

そのころ目の前にあった映像はというと、乾燥しきって固くひび割れた土、ところどころ割れ目から伸びるわずかばかりの草…。ただただ広がる荒野の絵でした。感情など持っていたら、とてもじゃないけれど、このなかを進んで行くことはできない。呆然としながらも、妙な覚悟を決めて眺めている自分がいました。

 

開店を機に、たくさんの方に出会い、たくさんの経験をしてきました。気づけば固かった土はほぐれ、果てしないばかりだった荒野は、緑生い茂る沃土に。今や、うれしいにつけ、悲しいにつけ、ところ構わず泣いてしまう私。感情のセンサーはフル稼働です。

 

喜怒哀楽を感じることは、案外、体力気力の要るものです。ましてや悲しさやさみしさを感じるのは、ただでさえ辛いこと。それでも、うれしいことはうれしいと、悲しいことは悲しいと感じられるのは、それだけで素晴らしいことなのだと、今、思います。

 

あらゆる感情を受け止められる、柔らかで豊かな土壌を持った私でありたい。

 

今回、演奏のなかでポロン、と一音を奏でられることが何度かありました。その一音のなんと美しかったこと。イリーナさんの人生と感性のすべてを込められたポロン。ほかの誰でもないイリーナさんのポロン。静まり返ったホールに余韻を残して消え入るポロン。渾身の一音。渾身の一滴。慈雨のように私の心に深く沁みこんでいきました。

 

この音のつながりがメロディーになり、曲になる。音楽の素養がないなどと構えることなく、この音を楽しめばいいのだと思いました。音を楽しむ…まさに「音楽」じゃないかと気づき、心の中でひとり手を打った次第です。

 

ピアノにも楽しげな音、悲しげな音があります。いろんな音色を味わうように、自分の中に湧き起こるいろんな感情も味わえたなら、どんなに素敵でしょう。ちょっと気の遠くなる境地ですが。

 

いつも私にインスパイアを与えてくださるイリーナさんのピアノ。出会えたことに改めて心からの感謝を(ブログペトロフピアノ)。