ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ

映画「ボヘミアン・ラプソディ」をご覧になった方はあるでしょうか? 伝説のロックバンド、クイーンをモデルにした映画です。クイーンのファンというわけではないのですが、心魅かれるものがあり出かけてきました。

 

といっても1月のこと。ブログに書くのがすっかり遅れてしまいました。が、期せずしてアカデミー賞受賞で話題に上る時期と重なり、これはこれで良いタイミングだったということでご容赦を(笑)。

 

この映画を観て初めてメンバーの一人一人を知ったほどの無知ぶりですが、予備知識なく観るのもまた新鮮なものでした。

 

そんな私でも映画の中で流れる曲は、いずれもどこかで聴き覚えがあり、これってクイーンの曲だったのかと思うものばかり。改めて偉大さを知った次第です。

 

今は亡きボーカルのフレディ・マーキュリーを中心に据えたストーリーですが、自信満々に見える姿のむこうに、様々な葛藤があったことが描かれています。出自のこと、容貌やセクシュアリティのこと、スターならではの苦悩も…。

 

なんでも上顎の歯の数が通常より多かったらしく、特徴的な歯並びをからかわれることも多かったようです。けれど伸びやかな声と、音域4オクターブのサウンドは、この歯のお蔭だと信じ矯正しなかったとのこと。

 

自信をつけていくに従い、歯を隠していた仕草が徐々になくなり、大きく口を開けて歌ったり笑ったりするようになったというのは、示唆に富んだエピソードです。

 

自分がコンプレックスに思っている部分は、実は自分にとって大切な特性なのかもしれません。が、そう思うには、相当の自信がなけれ難しい。たいていはコンプレックスのまま包み隠してしまいがちではないでしょうか。

 

フレディ・マーキュリーの場合、葛藤しつつも、その自信を支えたものはなにだったのだろうと考えます。

 

それは、一貫して自分に正直であったことではないでしょうか。ひとと対峙する時、自分の思いを率直に語ること。既成の価値に囚われず、自分の価値を尊重すること。前に進む時の指標が、外のどこかではなく、自分の内にあること…。

 

自分に正直であることは、自分を支える最強の力になるのだと思いました。

 

恋愛関係が終わった後も、生涯にわたってフレディの真の友人であり続けた女性メアリーとの関係も、この映画の大きな柱になっているように感じました。

 

多様なセクシュアリティについて、まだ理解を得られていなかった時代。一般には不思議に思える関係だったことと思います。が、恋人、夫婦、友人といった一般にある枠組みを超越した、固有の愛情が交わされていたのだなぁと想像します。これもまた、自分に正直であればこそ成立した関係だったでしょう。

 

既成概念にとらわれず、自分をなにかに分類することなく、ただありのままでいることを大切にして生き切った人生。だからこそ生まれたクリエイティブな音楽…。それが、クイーンというバンドが、フレディ・マーキュリーという人物が、多くの人に愛された所以なのではないでしょうか。

 

かくいう私も一夜でたちまちファンになり、さっそくCDを購入してしまった次第。にわかファンの私などが、こんなことを語るのは僭越ですが…。

 

フレディ・マーキュリーが生きた時代より、さらに年月が過ぎた今。誰もが自由に発信でき、多様なことが少しずつ認められるようになってきました。

 

その一方で、いいことも、よくないことも、たちまちに拡散し、いつ非難の的になってしまうかわからない怖さも併せ持つように。なにが正しくて、なにが間違っているのか。溢れる情報のなかで、混沌とした時代を生きている気がします。

 

フレディ・マーキュリーのような才能もカリスマ性もないけれど、私は私の価値に照らして、自分の中の指標に導かれて進んでいきたい。たとえ、それが、まわりと少しばかり違ったものだったとしても恐れずに。

 

そのために必要なこと、それは、ひとえに自分に正直であること。

 

そう確信させてくれた「ボヘミアン・ラプソディ」。素晴らしい映画と出会えました。さらにロングラン上映されることになるかもしれません。ご興味ある方は、是非ご覧になってみてください。

 

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