堀文子さんの言葉 2

堀文子さんに言葉 2

前回(ブログ堀文子さんの言葉)に続き、堀文子さんの言葉です。

 

息の絶えるまで感動していたい

 

短いけれど力を持った言葉、何度読み返しても心が震えます。

 

前回も紹介したNHKの「日曜美術館」では、ご自宅での様子も撮影されていました。そのなかで忘れ難い場面があります。うろ覚えですが…。

 

庭の草木にホースで水を撒かれていた時のこと、植物の間にクモの巣を見つけられました。水のかかったクモの巣に陽が当たり輝く様子を、なんてきれいなんでしょうと、それはそれは嬉しそうにはしゃいでおられました。アートのようなクモの巣の造形美、したたる水のしずくの輝き、確かにきれいだったような。そこの記憶は曖昧なのですが、子供のように無邪気に喜ぶ堀文子さんの姿は今も鮮明に浮かびます。

 

自然の織り成す美しさは、ひとを感動させてくれます。が、それが水を浴びて輝くクモの巣って…。ここまで無邪気に喜べるって…。なんて素敵なひと、なんて可愛らしい女性、そう感じたことを覚えています。

 

感動という言葉、簡単に使われ過ぎているように感じるのは私だけでしょうか。心から感動するって、案外難しいことに思います。慣れきった生活のなかで緩んでしまった心では、到底…。

 

私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています

 

絶えず果敢なチャレンジを続けておられる堀文子さん。踏み出す一歩一歩が未知の世界なのではないでしょうか。感動すべきものに出会ったなら、たちまち感動できる心の状態を、常に保たれているのだろうと想像します。

 

堀文子さんには遠く及びませんが、「しののめ寺町」開店以来の毎日も私には未知の世界の連続でした。新しい発見、出会い、学び…。しんどいこともありますが、感動もまた絶えない毎日。慣れ親しんだ生活のなかでは、決して味わえなかったことばかりです。

 

開店から二年半が経ち、慣れてきたこともありますが、慣れてしまってはいけないなぁと思います。

 

堀文子さんほどの強い生き方は、私にはとうてい真似できませんが、心意気だけは見習いたいと思います。過去に囚われず、常に前を向いていきたい。絶えることなく新しい今を更新し、さっきまで知らなかった今に感動し続けていきたい。未来を案じ過ぎず、恐れ過ぎず。私も願わくば…

 

息の絶えるまで感動していたい

 

店まで通うのに長らく地下鉄を使ってきましたが、最近、新車購入を機に自転車に変えてみました。空の色、雲の形、光や風…、一日として同じ日はありません。最近では金木犀が香るように。帰る頃は真っ暗でちょっと心細くなりますが、ペダルを強くこいでみると、薄闇が開かれていくような。

 

今までになかった心の動きを感じながら、いくつになっても新たな感動があるなぁと思うこのごろ。そんな自分に感動している私がいたりして。

 

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堀文子さんの言葉

堀文子さんの言葉

前回のブログで日本画家、堀文子さんのことを書きました。(ブログ画家 堀文子さんのこと

 

ふと立ち寄ったカフェで、たまたま座った席の正面に置かれたていたのが、堀文子さんのエッセイ「堀文子の言葉 ひとりで生きる」でした。絵と共にその生き様が素晴らしく、珠玉の言葉をたくさん残しておられる堀文子さん。私の憧れの女性です。思わず手に取ると、冒頭こんな文章が…。

 

私は九十年もの長い間さまよって、やっと少しわかったというか、私は自分を否定して、自分のことを劣っていると思っていましたから、よその世界に憧れて世界中をさまよったのです。自分は日本の生物だったと、そのことがわかるまでに長い時間がかかりました。

見つかったかどうかは知りませんけど、「青い鳥はよそにはいない」ということがわかったのです。皆さんも「青い鳥は自分のなかにいる」はずです。

 

私も自分のことを、なにか決定的なものが欠落した、ひとより劣った人間だと思ってきました。欠けているものを埋めたくて、劣っているところを補いたくて、随分と模索を続けてきました。堀文子さんには遠く及びませんが、方々探し回り、あれこれと試みてきたように思います。

 

けれど、どこも自分の居場所ではないような、どれも自分が求めていたことではないような、そんな気がしてすごすごと撤退、なんてことを繰り返してきました。飽き性とも少し違う、どれもしっくりとこなかったのです。

 

そんな様子を好奇心旺盛とか、行動力があるとか言ってくださる方もありますが、どれも大成することなく投げ出してきただけです。また回りををキョロキョロして、ひとと自分を比較して、ないものねだりをして、手に入らないことに途方に暮れて…。不全感はますます募るばかりでした。

 

思いがけず店を始めることになって二年半が過ぎました。生活は激変。あれこれ言っている余裕などなく、ただ目の前にある「しののめ寺町」と向き合ってきた日々。それはとりもなおさず、自分と向き合ってきた時間でもあります。

 

突然、商売の世界に飛び込んだ私は、ひとのなん倍も努力しなければいけないと思っていました。まわりの華やかな方たちを見て、私には到底真似はできないと思うことも。正直ちょっと疲れ気味に(ブログストック)。

 

一日の大半の時間を過ごす店、そこに立つ自分…。初めてここが私の居場所だと思えました。求めていたことがここにはあるのだと。だからどんなに疲れても、今度ばかりは続けてこられています。

 

自分の思いが店に反映し、店の印象が私に投影される。そんな毎日を送るなかで、気づいたこがあります。店をよくしていくには、まず自分がよくあらねばいけないということ。店を大切に思うなら、まず自分を大切にしなければいけないということ。

 

まわりから学ぶことはたくさんあります。もちろんこれからも学び続けていくつもりです。が、同時に自分に目を向けていくことも大切なんじゃないか、そう思うようになりました。自分の中に眠るものを呼び覚ますこと。くすんだまま放置しているものに磨きをかけること。そこにはまだまだ大きな可能性が秘められているような。逆行するようですが、改めてそこから始めてみようと思います。

 

私の心の中に、青い明かりが灯りました。よく見ると、濃い鮮やかな青色をした鳥でした。以来、ときどき手に載せて優しく撫でてやります。両の掌で包むようにそっと抱いてやります。繊細な羽を傷つけぬよう大切に。鳥は安心したように身を委ね、私の心も穏やかになっていきます。

 

堀文子さんの言葉のとおり、青い鳥は誰の心の中にも一羽ずついるはず。気づくか気づかないかは本人次第。気づけた私は幸運でした。

 

余談ですが、8月のこと、自宅の玄関先のやまぼうしの鉢植えに、鳥が巣を作りました。ぴぃぴぃと可愛い鳴き声を上げて、いたいけなヒナが二羽。親鳥が餌をくわえては通ってきます。巣立ちを楽しみに、木を見上げる日が数日続きました。

 

今年は大雨続きの夏でした。そこは屋根もない場所で、心配していたところに台風が。ぱったりと鳴き声が聞こえず、可愛い顔を見せてくれることもなくなりました。巣を覗いてみると、中は空っぽ。巣立ちには早すぎます。どうしたことやら。私の力不足のようで申し訳ない気もしましたが、自然界で生き抜くのは容易なことではないのかもしれません。

 

勝手な解釈ではありますが、折も折、私の心に青い鳥のイメージを届けに来てくれたような、そんなエピソードでした。

 

堀文子さんの言葉
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